今日は何の日
【今日は何の日】3月3日 [旧暦一月十八日]
上巳、桃の節句、雛祭り、耳の日、耳かきの日、オーディオブックの日、ジグソーパズルの日、サルサの日、ポリンキーの日、平和の日、女のゼネストの日、三の日、 桃の日、金魚の日、結納の日、闘鶏の節句
◆立子忌 ■深大寺だるま市(~4日)【東京都調布市、深大寺】 ■毘沙門堂裸押合大祭【新潟県南魚沼市、善光寺(浦佐毘沙門堂)】 ■流しびな【京都市左京区、下鴨神社】 ■淡嶋神社雛流し【和歌山市、淡嶋神社】 ■島原初市(~10日)【長崎県島原市】 ●書聖・王羲之の招きにより文人貴族42名が会稽の蘭亭で宴。できあがった詩文をまとめた本の序文として『蘭亭序』が書かれる(353) ●日本橋が開通。主要街道の起点となり、以来日本の道路交通の中心に(1603) ●江戸幕府が初めて勘定奉行を置く(1642) ●ミズーリ妥協。アメリカ・ミズーリ州の奴隷制度を存続させたままでの連邦への加入を承認する妥協案が成立
(1820) ●江戸幕府と米国使節ペリーが横浜で「日米和親条約」(神奈川条約)に調印。鎖国が解除(1854) ●桜田門外の変。水戸藩・薩摩藩の連合襲撃隊が井伊直弼を暗殺(1860) ●ロシア皇帝アレクサンドル2世が農奴解放令を発布。領主制を廃止
(1861) ●皇后(昭憲皇太后)がお歯黒・眉墨をやめ自ら文明開化の範を示す(1873) ●ビゼー作曲のオペラ『カルメン』がパリのオペラ・コミック座で初演(1875) ●西南戦争・田原坂の戦いが始る。政府軍と西郷軍の最大の激戦(1877) ●農民800人が農商務省を取り囲み足尾銅山の操業停止を請願(1897) ●ロシアのペトログラードで大ストライキが始まる。ロシア二月革命の発端(1917) ●ソ連が独・オーストリア側と「ブレスト・リトフスク講和条約」に調印。独・オーストリア軍がキエフを占領
(1918) ●部落解放運動の全国組織・全国水平社結成
(1922) ●アメリカでニュース週刊誌『タイム』が創刊(1923) ●『星条旗』がアメリカ合衆国の国歌として制定(1931) ●三陸沖地震(M8.1)。津波により死者3064人、流失倒潰家屋5851戸(1933) ●東京地下鉄道・京橋~銀座(現在の東京地下鉄銀座線)が延伸開業(1934) ●疎開促進・空き地利用による食糧増産・学童給食の三要綱を閣議決定(1944) ●物価統制令を施行、戦後経済の混乱に対処(1946) ●旧円の流通を全面禁止(1946) ●富士重工が初の軽自動車・スバル360を発表(1958) ●愛知県の名古屋鉄道挙母線(上挙母~大樹寺11.0km)がこの日限りで廃止(1973) ●トルコ航空機がパリ郊外で墜落。日本人48人を含む344人全員が死亡(1974) ●福岡市地下鉄空港線延長部(博多駅[仮駅舎]~博多駅間)が開業(1985) ●全日空のグアム路線第1便が出発。全日空の初の海外定期便(1986) ●京葉線・西船橋~南船橋,南船橋~千葉港(現在の千葉みなと)が開業。武蔵野線に乗入れ(1986) ●埼京線が池袋から新宿まで延伸(1986) ●愛媛県の予讃本線・向井原~内子,伊予大洲~新谷が開業し、内子線経由の短絡ルートが完成。内子線・五郎~新谷3.5kmが廃止(1986) ●福岡市地下鉄空港線延長部(博多駅~福岡空港駅間)が開業し、全通する(1993) ●CHAGE&ASKAの『YAH
YAH
YAH』のCDシングルが発売。242万枚の爆発的なヒットに(1993) ●イスラエルで路線バスが爆破。19人死亡7人負傷(1996) ●日本銀行がゼロ金利政策を施行(1999) ●『だんご3兄弟』のCDが発売。爆発的なヒットに(1999) ●スポーツ振興くじ(サッカーくじ)「toto」が全国発売開始(2001) ●アリオ亀有内にこち亀ゲームパークオープン(2006) ●第1回ワールド・ベースボール・クラシックが開幕(3月20日まで)(2006) 誕生:後伏見天皇(胤仁親王)
(天皇(93代)1288) ゲオルク・カントール(独:数学者,無限集合論を創始1845) グラハム・ベル(英・米:電話発明1847) 荻野吟子(日本初の女性公認医師1851)
アラン(仏:哲学者1868) 板谷波山
(陶芸家1872) 正宗白鳥(作家1879) R.A.K.フリッシュ(ノルウェー:経済学者(1969年ノーベル経済学賞)1895) 森田倭文子(京都外国語大学創設1908) A.コーンバーグ(米:生化学者(1959年ノーベル生理学医学賞)1918) 中田ラケット(漫才師(中田ダイマルラケット)1920) いぬいとみこ(児童文学作家1924) 村山富市(首相(81代)1924) 小島功(漫画家1928) 竹中平蔵(経済学者1951) 大森一樹(映画監督1952) ジーコ(ブラジル:サッカー1953) ケント・デリカット(カナダ:タレント1955) 栗田貫一(タレント・声優1958) マッハ文朱(タレント1959) 米川英之
(ミュージシャン(C-C-B)1964) ドラガン・ストイコビッチ
(ユーゴスラビア:サッカー1965) 金子美香(タレント1969) 堀川ミミ(タレント1972) あいざわかおり(タレント・モデル1973) 小松千春(タレント1974) 白石玲子(女優1977) 村田めぐみ(歌手(メロン記念日)1981) 梅津智弘(野球1983) 渡辺雅弘(野球1983) 渡辺結花(モデル1985) 紗那(モデル1985) 西山優(ジャニーズタレント1992) 川島海荷(女優1994) 荒井萌(モデル,女優1995) 両津勘吉(漫画キャラ(『こちら葛飾区亀有公園前派出所』)(35歳) ?年
)(当初は1943年生) 誕生花:蓮華草(れんげ草)
(Astragalus) 花言葉:私の幸福 誕生石:アメジスト(amethyst) 宝石言葉:心の平和 誕生色:鴇色
ときいろ 色言葉:精神的恋愛・礼儀・あでやかさ ※【上巳,桃の節句】 上巳の節句は五節句の一つで、元々は3月上旬の巳の日だったが、後に3月3日に行われるようになった。 旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われる。 古来中国では、上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。 これが平安時代に日本に取り入れられた。 後に、紙で小さな人の形(形代)を作ってそれにけがれを移し、川や海に流して不浄を祓うようになった。 この風習は、現在でも「流し雛」として残っている。 ※【雛祭り】 女の子の健やかな成長を願う伝統行事。 女の子のいる家庭では、雛人形を飾り、白酒・菱餅・あられ・桃の花等を供えて祀る。
上巳の日には、人形に穢れを移して川や海に流していたが、その人形が次第に 精巧なものになって流さずに飾っておくようになり、雛祭りとして発展して行った。
雛祭りは始めは宮中や貴族の間で行われていたが、やがて武家社会でも行われるようになり、 江戸時代には庶民の行事となった。 元々は、5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていたが、江戸時代ごろから、 豪華な雛人形は女の子に属するものとされ、端午の節句は菖蒲の節句とも言われることから、 「尚武」にかけて男の子の節句とされるようになった。 ※【耳の日】 日本耳鼻咽喉科学会が1956(昭和31)年に制定。 「み(3)み(3)」の語呂合せ。また、三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日であり、 電話の発明者グラハム・ベルの誕生日でもある。 耳や聴力への関心を高め、聴覚障害の予防・治療を徹底する為の記念日。 【関連】 補聴器の日
6月6日 鼻の日 8月7日 目の愛護デー
10月10日 ※【耳かきの日】 耳の衛生について、知識の普及や聴覚障害の予防・治療などへの理解を深めることを目的に 3と3で「耳」と読む語呂合わせから制定された「耳の日」。 その日をなじみ深い耳用品の「耳かきの日」にもと制定したのは、 神奈川県横浜市に本社を置く耳かき具のトップメーカーの株式会社レーベン販売。 耳かき具をつうじて、耳の衛生の大切さをアピールするのが目的。 ※【オーディオブックの日】 書籍を音声化し、耳を使って読書ができるオーディオブック。 いつでもどこでも手軽に読書の時間を持つことが可能なこの文化を広めることを目的に、 日本最大のオーディオブック配信サイト「FeBe(フィービー)」を運営する 株式会社オトバンクが制定。 日付はオーディオブックが耳で聴くものなので、3と3で「耳」の語呂合わせから。
※【ジグソーパズルの日】 頭と手を使い楽しく遊びながら脳の健康を保ち集中力を向上させるとして、 子どもからお年寄りまで幅広い人気のジグソーパズル。 これをさらに多くの人に親しんでもらおうと、ジグソーパズル扱う各社で構成された
「ジグソーパズルメーカー会」が制定。 日付は数字の3は裏表を組み合わせるとピタリとはまるジグソー風な形になることから。 ※【サルサの日】 ラテン音楽のサルサに合わせて踊るダンスのひとつ「サルサ」。 その日本の代表的なサルサプロダクションとしてさまざまな活動を行っている 有限会社サルサホットラインジャパンが制定した日。 日付は3と3で「303(サンマルサン)」として、 「サ」ンマ「ル」「サ」ンと読む語呂合わせから。「サルサ」のさらなる普及がその目的。 ※【ポリンキーの日】 ひとくちサイズの三角形でサクサク軽い食感が特徴のスナック菓子ポリンキー。 その発売元である株式会社フレンテが制定した日。 ※【平和の日】 1984年(昭和59年)の5月に第47回国際ペン東京大会で日本ペンクラブが、 「世界中のペンセンターで平和を願うキャンペーンを行なう」ことを提案。 翌年のユーゴ大会において日本が「3月3日のひな祭りが平和の象徴としてふさわしい」
と提唱し、決定した。 ※【女のゼネストの日】 1997(平成9)年から全国各地の実行委員会が実施。 男女共同参画社会を目指し、「男女平等基本法」制定を求めて女性が立ち上がる日。
この日が女の子の節句であることから、この日に実施することになった。 1996(平成8)年に来日したアイスランドのフィンボガドチル大統領の演説がきっかけになり制定された。 アイスランドでは1975(昭和50)年と1985(昭和60)年に「女のゼネスト」を行い、 何万人もの女性が仕事を放棄して首都レイキャビクに終結し、これを契機に初の女性大統領が誕生した。 ※【三の日】 日本三大協会が1993(平成5)年に制定。 日本三大協会は、「三種の神器」「日本三景」等、日本で古来より三つで括ると安定すると 考えられたのはなぜか、等を研究している団体である。 ちなみに三種の神器は 「八咫鏡(やたのかがみ)」「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」、 日本三景は 「丹後の天橋立」「陸奥の松島」「安芸の宮島」。 ※【桃の日】 1999(平成11)年に日本たばこ産業(JT)が、同社の製品「桃の天然水」のPRの為に制定。
※【金魚の日】 江戸時代に雛祭りの時に金魚を一緒に飾ったことから。 日本鑑賞魚振興会が制定。金魚の原産地は揚子江下流の浙江省付近とされる。 日本には室町時代末期に伝わり、江戸後期には“金魚売り”が現れて一般庶民の間に広まった。 ※【結納の日】 おめでたい陽の日が重なる日であることと結婚式にはつきものの三三九度の連想から、
この日を記念日としたのは、全国結納品組合会。 歴史と伝統のある結納品の素晴らしさなどを、ブライダル関連業界とともに、広くPRしていく予定。 ※【闘鶏の節句】 宮中では平安時代から旧暦の3月3日に闘鶏が行われていた。 ※【立子忌】 高浜虚子の子で『玉藻』を主宰した俳人・星野立子の1984(昭和59)年の忌日。 【関連】 虚子忌
4月8日
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明日は何の日、
【明日はこんな日】3月4日
ミシンの日、サッシの日、三線の日、円の日、雑誌の日 ◆赤黄男忌 ●大伴旅人が大隅国の隼人の乱を鎮める為の征隼人持節大将軍に任命される(720) ●藤原頼通が宇治の平等院鳳凰堂を完成(1053) ●パリの高級レストラン・トゥールダルジャンが開業(1582) ●杉田玄白・前野良沢らが処刑された死刑囚の解剖(腑分け)を見学。翌日から医学書『ターヘル・アナトミア』の翻訳にとりかかり4年後に『解体新書』を出版
(1771) ●老中・松平定信が寛政の改革を始める(1788) ●白蓮教徒の乱。清国で農民による弥勒信仰結社・白蓮教徒が叛乱(1796)
●第3代米大統領トマス・ジェファーソンが新首都コロンビア特別地区(翌年ワシントンと命名)で初の大統領就任式(1801) ●江戸で文化の大火。江戸三大火の一つ
(1806) ●前年からの天保の大飢饉の為、江戸幕府が江戸の各地に救米小屋を設置(1837) ●リンカーンが第16代米大統領に就任(1861) ●江戸幕府14代将軍徳川家茂が京都・二條城に入る。3代家光以来230年ぶり(1863) ●明治政府が円貨の制度を定める(1869) ●「弁護士法」公布(1893)
●「著作権法」公布。7月15日施行。1971年に全面改正
(1899) ●明治天皇の誕生日11月3日を「明治節」とすることが決定(1927) ●フランクリン・D.ルーズヴェルトがアメリカの第32代大統領に就任(1933)
●宝塚歌劇が戦時下不適当と休演、さよなら公演にファン殺到(1944)
●日本放送協会が「NHK」サインの使用を開始(1946) ●インド・ニューデリーで第1回アジア競技大会開幕。11か国が参加(1951) ●十勝沖地震(M8.2)。北海道から関東に津波。死者行方不明者33人(1952) ●香港発のカナダ航空旅客機が羽田空港の防潮堤に激突。死者64人(1966) ●高見山大五郎、十両に昇進。外国人初の関取に。引退まで幕内出場1430回と史上1位。1980年、日本に帰化(1967) ●「3万人市制特例法」が可決成立。期限附きで市制施行の条件を人口5万人から3万人に緩和(1970)
●「日米渡り鳥保護条約」調印(1972) ●高野連が高校野球公式試合での金属バットの使用を許可(1974)
●ルーマニアでM7.2の大地震。死者約1千5百人、倒潰家屋2万戸(1977) ●英国王室がチャップリンに「ナイト」の称号を授与(1986)
●大阪市営地下鉄堺筋線・動物園前~天下茶屋が延伸開業(1993) ●衆院選の小選挙区比例代表並立制導入などの政治改革関連4法案が成立(1994) ●バンダイがワンダースワンを発売(1999) ●SCEが家庭用ゲーム機プレイステーション2を日本国内で発売(2000)
●読売ジャイアンツの長嶋茂雄終身名誉監督が脳梗塞で倒れる(2004)
●駒大苫小牧が野球部OBの飲酒・喫煙問題で春のセンバツ出場を辞退(2006) 誕生:エンリケ(ポルトガル:航海王子1394) アントニオ・ビバルディ(伊:作曲家『四季』1678)
賀茂真淵(国学者1697) 有島武郎(作家『或る女』1878)
フランク・オドール(米:野球(2002年野球殿堂)1897) J.トービン(米:経済学者(1981年ノーベル経済学賞)1918)
ポール・モーリア(米:指揮者・作曲家1925) 天知茂(俳優1931)
中条きよし(歌手・俳優1946) 順みつき(女優1948)
山本リンダ(歌手1951) 魔夜峰央(漫画家『パタリロ!』1953)
山本達彦(シンガーソングライター1954) 佐野史郎(俳優1955) 山田貴敏(漫画家1959) 宮里奈美子(歌手(ネーネーズ(初代))1960)
浅野温子(女優1961) 野島伸司(シナリオライター1963)
小谷真生子(ニュースキャスター1965) ふじいあきら(マジシャン1967) 大塚裕子(タレント1967)
河本忍(俳優1970) ネリオ・ロドリゲス(ドミニカ共和国:野球1971) 緒方かな子(中條かな子)(タレント1973)
星野卓也(お笑い芸人1977) 笹峰愛(タレント1978) KONAN(モデル1985)
木村朱美(ファッションモデル1987) 細田よしひこ(俳優1988)
中村蒼(俳優1991) 桑田乃梨子(漫画家 ?年) 誕生花:木苺(きいちご)(ラズベリー)
(Raspberry) 花言葉:愛情 誕生石:トパーズ(topaz)
宝石言葉:希望 ※【ミシンの日】 ミシン発明200年を記念して日本家庭用ミシン工業会(現在は日本縫製機械工業会)が 1990(平成2)年に制定。 「ミ(3)シ(4)ン」の語呂合せ。 イギリスのトーマス・セイントが世界で初めてミシンの特許を取得したのは1790(寛政2)年だった。 「ミシン」という名前は、
"sawing
machine"(裁縫機械)の"machine"がなまったものである。 ※【サッシの日】 YKKアーキテクチャルプロダクツ(YKK
AP)が制定。 「サッ(3)シ(4)」の語呂合せ。 ※【三線の日】 沖縄県の琉球放送が制定。 「さん(3)し(4)ん」の語呂合せ。 三線は、蛇味線とも呼ばれる沖縄の楽器で、三味線の元となったとされている。 中国の「三弦(さんしぇん)」が14世紀末期に琉球に伝わって「三線」が生まれたといわれる。 その後、「三線」は堺商人によって本土に入り、「三味線」となる。 ※【円の日】 1869(明治2)年、明治政府が貨幣を円形として金銀銅の貨幣を鋳造する円貨の制度を定めた。
※【雑誌の日】 富士山マガジンサービスが2008年に制定。 ざっ
(3) し (4) の語呂合わせ。
※【赤黄男忌】 俳人・富沢赤黄男の1962(昭和37)年の忌日。
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明後日は何の日、
【明日はこんな日】3月5日
珊瑚の日、ミス・コンテストの日、スチュワーデスの日 ◆啓蟄 ●黄巾賊の反乱。漢の各地で太平道の信徒が蜂起(184) ●天災飢饉の為、寛喜に改元。1232年に貞永に改元(1229)
●應仁に改元。1469年に文明に改元(1467) ●織田信長が石山本願寺と和議し、顯如が石山を退去。11年ぶりに石山合戦が終結(1580)
●ボストン虐殺事件。重い税金に反対したボストン市民と英国軍が衝突。兵士が群集に向け発砲し死者5人。ボストン茶会事件のきっかけに(1770)
●7代目市川團十郎が歌舞伎十八番の一つ『勧進帳』を初演(1840) ●大蔵省検査局を廃止し会計検査院を設置(1880) ●東京航空輸送が3人のエア・ガールを採用。日本初のスチュワーデス
(1931) ●血盟団員が三井合名理事長・團琢磨を暗殺(1932) ●東京に初めて空襲警報発令(1942) ●戦争に伴い、高級享楽(バー・高級料理店・待合が閉鎖)の停止(1944) ●チャーチル英首相が米ミズーリ州でソ連を非難する「鉄のカーテン」の演説。冷戦の始まり(1946) ●ソ連首相スターリンが死去。冷戦の雪解けが進むとの観測から軍需株が暴落(1953) ●羽田経由香港行きの英BOACボーイング707が富士山上空で空中分解。124人全員死亡(1966) ●第1回青梅マラソン開催。参加33名(1967) ●熊本県熊本市に日本で初めてスクランブル交差点が設置される(1969) ●岡崎友紀が『しあわせの涙』で歌手デビュー(1970) ●大阪刑務所内で印刷された阪大・大阪市大の入試問題が密売されていたことが発覚(1971) ●アリスが『走っておいで恋人よ』でレコードデビュー(1972) ●黒柳徹子の『窓ぎわのトットちゃん』が発刊(1981)
●青函トンネルで本州と北海道が結合(1986) ●長野パラリンピック冬季大会開催。32か国1100人が参加(1998)
●アメリカ海軍の航空母艦ロナルド・レーガン就役(2002)
●大宮駅構内にecute大宮がオープン(2005) ●北海道北見市・端野町・常呂町・留辺蘂町が合併し、新北見市が誕生(2006)
誕生:G・メルカトル(蘭:測地学者,メルカトル図法考案)
1512) 川上眉山(作家『墨染桜』『大盃』1869) 大河内伝次郎(俳優『丹下左膳』1898) 橋本登美三郎(政治家1901) 安藤百福(日清食品創業,インスタントラーメン発明1910)
ピエル・パオロ・パゾリーニ(伊:映画監督1922) 小森敏之(実業家,丸大食品創業1922)
中島誠之助(陶器鑑定家1938)
大杉勝男(野球1945) 湯原昌幸(タレント1947) 榊原るみ(女優1951) 山下大輔(野球1952) 北条司(漫画家『CITY
HUNTER』『CAT'S
EYE』1957) BON(ミュージシャン(米米クラブ)1960) 成田美名子(漫画家『CIPHER』1960)
KATSU(勝せいじ)(ミュージシャン(子供バンド)1961) 板谷祐三子(タレント,歌手(セイントフォー)1968) 貝瀬典子(タレント(おニャン子クラブ)1970) ジョン・フルシャンテ(米:ミュージシャン(レッドホットチリペッパーズ)1971) 原西孝幸(お笑いタレント(FUJIWARA)1971) 熊川哲也(バレエダンサー1972) 菊間千乃(アナウンサー1972) 中村千夏
(女優1972) 大原隆(歌手(野猿)1974) asami(歌手1975) 菅原裕美(タレント1975)
染谷ちひろ(タレント1979) 神宮司治(ミュージシャン(レミオロメン)1980) 山田まりや(タレント1980) 松山ケンイチ(俳優1985) 引田香織(歌手1986) ライスシャワー(競走馬1989)
マンハッタンカフェ(競走馬1998) 夏樹リオ (声優 ?年 ) 吉村明美(漫画家『薔薇のために』等 ?年 )
篠有紀子(漫画家『花きゃべつひよこまめ』等 ?年 ) 渡瀬悠宇(漫画家『ふしぎ遊戯』等 ?年 )
誕生花:やぐるま草 (Corn
Flower) 花言葉:幸福感 誕生石:ブルーサファイア(blue-sapphire)
宝石言葉:慈愛・誠実
※【珊瑚の日】 「さん(3)ご(5)」の語呂合せと、珊瑚が3月の誕生石であることから。 ※【ミス・コンテストの日】・【ミスコンの日】 1908(明治41)年、時事新報社が全国から「良家の淑女」を対象に写真を募集し、 その審査結果を公表した。これが日本初のミスコンテストとなった。 1等に選出されたのは小倉市長・末弘直方の四女・ヒロ子で、学習院女子部3年に在学中だった。 コンテスト参加は学習院で大問題となり、彼女は退学処分になってしまった。 ※【スチュワーデスの日】 1931(昭和6)年、東京航空輸送が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表された。 「エアガール」という呼び名で募集され、2月5日に試験が行われた。140人の応募に対し、合格者は3人だった。
※【啓蟄】 二十四節気の一つで、大地が暖まって、冬の間地中にいた虫が這い出てくる日。 天文学的には、天球上の黄経345度の点を太陽が通過する時。 また、春雷が一際大きくなりやすい時期でもある。 漢王朝6代皇帝の諱が「啓」であり同じ字を使うのは畏れ多いとして、一時、 音が似ている「驚蟄」に改められた。 唐代になって「啓蟄」に戻され、その頃に日本に二十四節気が伝わった。 大衍暦になって再び「驚蟄」に戻されたが、日本では「啓蟄」のままとした。
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【3月】 March:ローマの軍神マルス(Mars)の誕生月を称えた「マルスの月(Martius)」から
【異称】 弥生
・花月・桃月・桜月・禊月・夢見月・花見月・花惜月・春惜月・竹秋・晩春・暮春
・残春 ※「やよい」は「いやおい」で、すべての草木が春の陽気に恵まれて生い育つという意味。
【誕生花】(花言葉) 忘れな草(私を忘れないで) 【誕生石】(宝石言葉) アクアマリン(聡明・知恵・勇気・清らかな心)
【3月の草木花】 土筆・薺・蕗の薹・菜の花・蒲公英・馬酔木・辛夷・山茱萸・沈丁花・猫柳・白木蓮・三椏・連翹・雪柳・木五倍子 【3月の季語】 早春・浅春・春暖・春色・春雪・解氷・春雨・麗日・桃の節句・春分・春の彼岸・卒業・三寒四温・菜種梅雨・花ぐもり・桜前線
【3月の時候の挨拶】 ・早春の候 ・水温む候 ・浅春の候 ・桃の季節が訪れました
・ようやく春めいてまいりました ・春光うららかに花の便りの聞かれるこの頃でございます
・暑さ寒さも彼岸までとかで、余寒もめっきり薄れました ・急に春めいてまいりました ・日増しに暖かくなり ・春光が天地に満ちて
・やがて桜もほころび始めることと
※【元日】(New Year's
Day) 新年の幕開けの日。年のはじめを祝う国民の祝日。 1948(昭和23)年7月公布・施行の祝日法によって制定された。
※【元旦】 「旦」は「日の出・朝」の意味で、「元旦」とは1月1日の朝を指す。
※【初詣】 年が明けてから、初めて神社仏閣に参拝すること。
氏神様やその年の恵方に当る方角の社寺にお参りをして、その年の無事と平安を祈る。 「恵方」とは、その年の福徳を司る神「歳徳神」の所在する方角のことで、 何事をするにも最も良いとされる方角のことである。 昔は大晦日の夜に社寺にお参りして一度家に戻り、元日の朝になって再び参詣していたが、 今では大晦日の夜から出かけて行って、社寺の境内で元旦を迎えるという形も見られる。
※【年賀】 新年の挨拶を述べる為、親戚や知人、上司、近所の人々等を訪れる。 現在では年賀状でその代りをするようになっている。
※【若水】 元日の早朝に井戸から水を汲んで神棚に供えること。またその水のことも「若水」と言う。 朝早く、まだ人に会わないうちに汲みに行き、もし人に会っても口をきかないしきたりだった。 若水は一年の邪気を除くと信じられ、神に供えた後その水で家族の食事を作ったり、 口を漱いだりお茶を立てたりした。
※【若潮,若潮迎え】 元日の早朝、潮水を海から汲んで来て神に供える。
※【四方拝】 天皇が、午前5時半(昔は寅の刻)に束帯を着て神嘉殿の南座(昔は清涼殿の東庭)に出御し、 皇大神宮・豊受大神宮・天神地祇・天地四方・山陵を拝し、宝祚の無窮・天下太平・万民安寧を祈る儀式。
※【新年】 1948(昭和23)年までは「新年」という祝日で、四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていた。
「二十四節気」
太陰暦に太陽暦の要素を取り入れた古代支那における「二十四節気」(黄道を24当分した節 目)にもとづくもの
1月
※【小寒】 6日
小寒(二十四節気の一つ。本格的な寒さが始まる)
※【大寒】 20日
太陰暦に太陽暦の要素を取り入れた古代支那における「二十四節気」(黄道を24当分した節 目)にもとづくもの。1年で最も寒い時期を指すもので、実際は太陽暦の2月半ばにあたる。
2月
※【立春】 4日
旧暦正月寅の月の正節で、暦の上では旧冬と新春との境目にあたります。
この日から春ですがまだまだ寒さは厳しい頃です。積雪地帯では雪が降り続いています。
・・・ オマケ ・・・
※【節分・鬼やらい】
本来は各季節の始りの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことであるが、現在では春の 節分だけが行われている。季節の代り目には邪気が生じると考えられており、それを追い 払うため、この日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に立てておいたり、炒っ た大豆をまいて年の数だけ食べたりする習慣がある。
※【のり巻の日】
1987(昭和52)年、全国海苔貝類漁業協同組合連合会が制定。 節分の夜に恵方(その 年の吉の方角)に向かって太巻きを食べると幸せになれるという言い伝えから。
※【縁起巻きの日】
1987(昭和52)年、全国海苔貝類漁業協同組合連合会が制定。
節分の夜に恵方(その年の吉の方角)に向かって無言で丸ごと太巻きを食べると、一年間 幸せに暮らせるという縁起の良い巻き寿司と言い伝えられています。
※【雨水】 19日
二十四節気の一つで、温かさに雪や氷が解けて雨水として降り注ぐ日。天文学的には、太陽 が天球上の黄経330度の点を通過する時。 昔から、農耕の準備を始めるのは雨水が目安と されて来た。また、この日に雛人形を飾附けると良縁に恵まれるとされている
3月
※【啓蟄(けいちつ)】 5日
二十四節気の一つで、大地が暖まって、冬の間地中にいた虫が這い出てくる日。
天文学的には、天球上の黄経345度の点を太陽が通過する時。また、春雷が一際大きくなりやすい時期でもある。
漢王朝6代皇帝の諱が「啓」であり同じ字を使うのは畏れ多いとして、一時、音が似ている「驚蟄」に改められた。唐代になって「啓蟄」に戻され、その頃に日本に二十四節気が伝わった。
大衍暦になって再び「驚蟄」に戻されたが、日本では「啓蟄」のままとした。
※【春分】(Vernal
equinox) 20日
二十四節気の一つで、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる日。 天文学的には、太陽が黄経0度の点(春分点)を通過する時。 春分点は、天球上の黄道と赤道との2つの交点のうち太陽が赤道の南から北へ向かって横切る点のことで、 赤経・黄経の基準となる。毎年僅かずつ西に移動しており、現在は魚座にある
4月
※【清明】 5日
二十四節気の一つで 4月5日ころ、この日から穀雨での期間。
太陽黄経が15度のときで、万物がすがすがしく明るく美しいころ。三月節。暦便覧には「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されている。 さまざまな花が咲き乱れ、お花見シーズンになる。
中国清明説は祖先の墓を参り、草むしりをして墓を掃除する日であり、「掃墓節」とも呼ばれた。また春を迎えて郊外を散策する日であり、「踏青節」とも呼ばれた。『白蛇説』で許仙と白娘子が出会ったのも清明節でにぎわう杭州の郊外であった。また清明節前に摘んだ茶葉を「明前茶」、清明から穀雨までの茶葉を「雨前茶」、穀雨以後の茶葉を「雨後茶」という。中国で緑茶は清明節に近い時期に摘むほど、香と甘みあり、高級とされている。
沖縄県では「しーみー」と発音して、中国の風習と同じく墓参りに行くが、墓の前で親類が揃って食事を楽しむ風習がある。清明祭ともいう。
※【穀雨】 20日
二十四節気の一つで、春の温かい雨が降って、穀類の芽が伸びて来る頃。
天文学的には、天球上の黄経30度の点を太陽が通過する時。
この頃は雨の降る日が多くなり、穀類の種子の成長を促進するので、種蒔きの好期となる。
5月
※【立夏】 5日
二十四節気の一つで、夏の気配が現われて来る頃。
天文学的には、天球上の黄経45度の点を太陽が通過する時。
※【小満】 21日
二十四節気の一つで、万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来る頃。
天文学的には、天球上の黄経60度の点を太陽が通過する時。
6月
※【入梅】 10日
雑節の一つ。天文学的には、太陽が黄経80度の点を通過する時。
梅雨の季節に入る日とされていますが、梅雨入りの時期は地域によって異り、実際の梅雨とは関係がない。 旧暦では梅雨の入りを芒種のあとの最初の壬の日、 梅雨明けを小暑の後の最初の壬の日としていた。 もちろん、本当の梅雨入り、梅雨明けの日附は年により、地方により異なるものであるが、 農家にとって梅雨入りを知ることは田植えをする為に重要なことであった。 入梅の語源は、梅の実が熟す頃に雨期に入ることから来ている。また、この頃は湿度が高く黴が生えやすいことから「黴雨」と言われ、これが「梅雨」になったと言われている。
※【夏至】(Summer
solstice) 21日
二十四節気の一つで、北半球では太陽が最も高く、昼間の時間が最も長くなる日。
天文学的には、太陽が黄経90度の点を通過する時。
菖蒲が咲き始め、半夏(烏柄杓)が生えてくる頃である。
7月
※【小暑】 7日
二十四節気の一つで、梅雨が明け、本格的な暑さが始まる頃。 天文学的には、太陽が天球上の黄経105度の点を通過する時。 この日から、夏らしい暑さになる「暑気」に入り、暑中見舞いが出されるようになる。
蓮の花が咲き始める頃である。また、梅雨明け前の集中豪雨が多く発生する時期でもある。
※【大暑】 22日
二十四節気の一つで、暑気が至り一年で最も暑い「酷暑」の時期。
天文学的には、太陽が天球上の黄経120度の点を通過する時。
8月
※【立秋】(Beggining of autumn) 7日
二十四節気の一つで、初めて秋の気配が現われて来る頃。
天文学的には、太陽が黄経135度の点を通過する時。
この日から暦の上では秋になるが、実際には「残暑」が厳しく、一年で最も暑い時期である。
この日から暑中見舞いではなく「残暑見舞い」を出すことになる。
※【処暑】 23日
二十四節気の一つで、暑さが峠を越えて後退し始める頃。 天文学的には、太陽が黄経150度の点を通過する時。
二百十日・二百二十日とともに台風の特異日とされている。
9月
※【白露】 7日
二十四節気の一つで、大気が冷えて来て、露が出来始める頃。 白露とは、風のない晴れた夜に発生するしらつゆの意で、この頃秋気が本格的に加わり、 野草に宿るしらつゆが秋の趣をひとしお感じさせる頃となる。 栗の実が大きくなり、秋刀魚や梨などの秋の味覚が店頭に並び始めるなど、
秋の気配が感じられるようになってくる。
※【秋分】(Autumnal Equinox) 23日
二十四節気の一つで、春分と同様に、太陽が真東から昇って真西に沈み、
昼と夜の長さがほぼ同じになる日。
天文学的には、天球上の黄経180度の点(秋分点)を太陽が通過する時。
10月
※【寒露】 4日
二十四節気の1つ。旧暦九月戌(いぬ)の月の正節で、新暦の十月九日頃。
太陽の黄経が195度の時で、霜が冷気によって凍りそうになるころ。
※【霜降】 23日
二十四節気の一つで、露が冷気によって霜となって降り始める頃。
天文学的には、天球上の黄経210度の点を太陽が通過する時。
この日から立冬までの間に吹く寒い北風を「木枯らし」と呼ぶ。楓や蔦が紅葉し始める。
11月
※【立冬】 7日
二十四節気の一つで、陰暦の十月後半、陽暦では11月八日頃をいう。
太陽の黄経が225度に達したときで、これより冬に入る初めの節。旧暦十月亥(い)の月の正 節まだ秋の気配が残っているが、朝夕冷え込んできて、冬が間近と感じさせる頃です。
日脚も目立って短くなっていきます。
※【小雪】 22日
二十四節気の一つで、僅かながら雪が降り始める頃。
天文学的には、天球上の黄経240度の点を太陽が通過する時。
遠くの山の山頂に冠雪が見られ始め、みかんが黄ばみ始める。
※【新嘗祭】 23日
1873(明治6)年から1947(昭和22)年までの祭日。
天皇が新穀を天神地祇に勧め、また、親しくこれを食する祭儀。
明治5年までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていた。
明治6年から太陽暦が導入されたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になることもあって
都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととし、明治6年では
それが11月23日だった。
翌明治7年には前年と同じ11月23日に行われ、以降11月23日に固定して行われるようになった。
12月
※【大雪】 7日
二十四節気の一つで、雪が激しく降り始める頃。
天文学的には、天球上の黄経255度の点を太陽が通過する時。
鰤などの冬の魚の漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色附く頃である。
※【冬至】(Winter solstice) 21日
二十四節気の一つで、北半球では太陽が最も低く、夜が最も長くなる日。
天文学的には、天球上の黄経270度の点を太陽が通過する時。
この日に、柚子湯に入り小豆粥や南瓜を食べると、風邪をひかないと言われている。
古代には、冬至を1年の始まりとしていた。
その名残で、現在でも冬至は暦の基準となっている。
太陽太陰暦では、冬至を含む月を11月と定義しているが、
19年に1度、冬至の日が11月1日となることがあり、これを「朔旦冬至」と言う。
朔旦冬至が正確に19年周期で訪れることは、暦が正確に運用されている証であり、
それは政治が正しく行われているということであるとして、朔旦冬至は盛大に祝われた。
これまでで最後の朔旦冬至は1995年、次の朔旦冬至は2014年である。
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※【震度階級】
震度0・・・無感・・・地震計(震度計)が検知し、人は揺れを感じない。
震度1・・・微震・・・地震や揺れに敏感若しくは過敏な限られた一部の人が、地震に気付く。眩暈と錯覚する。
震度2・・・軽震・・・多くの人が地震であることに気付き、睡眠中の人の一部は目を覚ます。
天井から吊り下げた電灯の吊り紐が左右数cm程度の振幅巾で揺れる。
震度3・・・弱震・・・殆どの人が揺れを感じる。揺れの時間が長く続くと不安や恐怖を感じる人が出る。重ねた陶磁器等の食器が音を立てる。
震度4・・・中震・・・殆どの人が恐怖感をおぼえ、身の安全を図ろうとし始める。机等の下に潜る人が現れる。睡眠中の人の殆どが目を覚ます。吊り下げたものは大きく揺れる。近接した食器同士がずれて音を立てる。重心の高い置物等が倒れることがある。
震度5・・・強震・・・
(震度5弱)殆どの人が恐怖感をおぼえ、身の安全を図ろうとする。歩行に支障が出始める。天井から吊るした電灯本体を初め吊り下げ物の多くが大きく揺れ、家具は音を立てはじめる。重心の高い書籍が本棚から落下する。
(震度5強)恐怖を感じ、たいていの人が行動を中断する。食器棚などの棚の中にあるものが落ちてくる。テレビもテレビ台から落ちることもある。一部の戸が外れたり、開閉できなくなる。
震度6・・・烈震・・・
(震度6弱)立っていることが困難になる。固定していない重い家具の多くが動いたり転倒する。 開かなくなるドアが多い。
(震度6強)立っていることができず、はわないと動くことができない。
震度7・・・激震・・・落下物や揺れに翻弄され、自由意思で行動できない。殆どの
※【関東大震災記念日】
1923(大正12)年9月1日午前11時58分、関東大震災が発生した。マグニチュードは7.9で、家屋の全半壊25万戸以上、焼失家屋44万戸以上、津波による流失家屋868戸、死傷者20万人以上、行方不明者4万人以上という甚大な被害があった。
ちょうど昼食準備の時間だったため、地震の後に大火災が発生し、被害がさらに大きくなった
※【終戦記念日】
1945(昭和20)年、8月15日の正午、昭和天皇による「玉音放送」がラジオから流れ、日本が無条件降伏したことが伝えられた。1941年12月8日の真珠湾奇襲から数えて3年8カ月、満州事変からは15年の長きにわたる戦争が終わったこの日を記念して、政府は1963年から毎年この日に「全国戦没者追悼式」を各地で行っている。
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※【閏(うるう)日】
4年に1度(ただし400年に97日)の閏年には、2月28日の翌日に閏日として29日が入る。これは、1年の日数が365日ではなく365.2422日なので、そのずれを調整する為である。西暦の年が100で割り切れ、かつ、400で割りきれない年は閏日を入れない平年になる。2月29日生まれの人は、平年には2月末日の満了の時、つまり2月28日が終了する瞬間に年齢が変わる。これは以下のような理由による。年齢の数え方については、法律で以下のように決められている。
つまり、「年を単位として期間を定めた場合には、起算日の応答日の前日に期間が満了する。
ただし、応当日がない時はその月の末日を満期日とする。」としている。これより、0歳の期間が満了するのは誕生日の前日が終了する瞬間(23時59分59.999...秒)で、その時から1歳ということになる。他の年でも同様に、誕生日の前日が終了する瞬間に年齢が変る。それで、2月29日生まれの場合は「ただし」以降が適用されて、平年では2月の末日が満期日となり、28日が終了する瞬間に年齢が変る。運転免許の書換え等の場合は、免許の効力の満期日が2月28日となるので、その一箇月前の1月28日から書換えができる。
※【跳躍の日(Leap
day)】
英語では閏日のことを"leap day"と言う。これは、普段の年はその前年の同じ日より1つだけ曜日がずれるが、閏年の翌年は2つずれる、 つまり、曜日を1つ飛び越える(leap)からである。
かつてイギリスでは、4年間のうちでこの日だけ女性から男性へのプロポーズが伝統的に公認され、男性はそれを断わることはできないとされていた。
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※【郵便料金の移り変わり】
http://masudahp.hp.infoseek.co.jp/Yuubin/yuu0100.html
※【建国記念の日】
建国をしのび、国を愛する心を養う国民の祝日。1966(昭和41)年から国民の祝日になった。
この日はかつて「紀元節」という祝日だったが、戦後になってこの祝日は廃止された。1951(昭和26)年頃から復活の動きが見られ、1957(昭和32)年以降
9回の議案提出・廃案を経て、1966(昭和41)年に、日附は政令で定めるものとして 国民の祝日に追加された。 建国記念の日の日附については内閣の建国記念日審議会でも揉めたが、10人の委員のうち7人の賛成により、2月11日にするとの答申が1966(昭和41)年12月8日に提出され、翌日政令が公布された。
「建国記念日」ではなく「記念の日」なのは、建国された日とは関係なく、
単に建国されたということを記念する日であるという考えによるものである。
※【紀元節】
1873(明治5)年から1948(昭和23)年まで祝日とされ、四大節(新年・紀元節・天長節・明治節)の一つとされていた。 日本書紀による神武天皇即位の日・紀元前660年1月1日を新暦(グレゴリオ暦)に 換算した2月11日を祝日と定めた。当初は1月29日だったが、翌年から2月11日に変更された。 戦後、日本国憲法の精神にそぐわないとして廃止されたが、昭和41年に 「建国記念の日」として復活した。 1873(明治5)年11月15日、紀元前660年を元年として「皇紀○年」という年の数えかたが作られたが、現在ではほとんど使われていない。
※ユリウス暦
長い解説です~~~~暇な人はどぞ。
ユリウス暦は、太陽暦の一種。ユリウス・カエサルによって制定され、紀元前45年1月1日より実施された。1年を原則として365日とし、4年に1度の閏年に、2月に1日を加えて366日とする。
正確な一太陽年とは、4年に約44分の誤差がある。16世紀末に、より誤差の少ないグレゴリオ暦が制定されてからは、徐々に取って代わられた。
暦の切り替えはキリスト教圏でもばらつきがあり、ロシアは共産主義革命まではユリウス暦が採用されていた。
現在でも東方正教会ではユリウス暦を用いて祭礼を行なっている。ただしこれは、ユダヤ教の祭日が決まったあとでキリスト教の祭日を決定するという初期のキリスト教の祭日決定法に従うためで、東方正教会がグレゴリオ暦を導入していないわけではない。(ユダヤ教は1年の長さがユリウス暦とほぼ同じユダヤ暦を基準にして祭日を決定するため、東方正教会では、完全にグレゴリオ暦に移行できないだけである)
1
概要
2 初期のユリウス暦の運用
3 各月の長さ
4 関連項目
概要
紀元前8年以降に使われた方式は次の通り。(紀元前9年以前については後述)平年の1年の長さを365日とし、これを12の月に分割する。各月の長さは、1月から順に次のとおり。
31,28,31,30,31,30,31,31,30,31,30,31 そして、4年に一度、閏年には、2月の日数を増やして29日とする。閏年の日数は366日となる。1月は、季節でいうと冬至を過ぎた頃になる。日本語では各月は1月~12月の数字で表すことが多いが、ローマではローマ神話などに基づく固有名があった。これらの月の名は、7月、8月を除いてローマ暦と同一である。また、基本的に同一月の季節もローマ暦とほぼ同じである。
初期のユリウス暦の運用
紀元前44年から、7月は、ユリウスの名をつけて、Juliusと呼ばれるようになった。閏年は4年に一度と決められたが、ユリウスの死後、誤って3年に一度ずつ閏日が挿入された。この誤りを修正するため、ローマ皇帝アウグストゥスは、紀元前8年から数年間、閏年を停止した。紀元8年からは毎4年ごとに閏日が挿入されている。同時に8月の名称を自分の名Augustusに変更した。
紀元前45年から紀元8年まで、どのような周期で閏年がおかれていたのかについては、詳しい記録が残っておらず、その後何度か論議になった。紀元前45年から3年おきという学者もいれば、紀元前44年から3年おきという学者もいた。1999年に、ローマ暦とエジプト暦の両方の日付が記載された紀元前24年当時の暦が発見され、それを基にした最新の説によると、紀元前45年から紀元12年までの閏年のおかれかたは次のとおりである。
紀元前44年、紀元前41年、紀元前38年、紀元前35年、紀元前32年、紀元前29年、紀元前26年、紀元前23年、紀元前20年、紀元前17年、紀元前14年、紀元前11年、紀元前8年、紀元8年、紀元12年。(以後、4年ごと)
ユリウス暦で人名が月の名となって残ったのは、結局、7月のJulius(Iulius)と8月のAugustusだけだった。多くのローマ皇帝が、月に自分の名をつけようとしたが、残りのすべての改名の企ては、その皇帝の死とともに元の月名に戻った。カリグラは、9月を
Germanicusと、クラウディウスは3月をClaudius(クラウディウス)と、ネロは4月をNeroneusと改名した。ドミティアヌスは10月をDomitianusと改名した。9月はアントニヌス・ピウスによってAntoninusと改名されたほか、タキトゥスによってもTacitusと改名された。11月はピウスの妻の名をとってFaustinaにされたり、Romanusにされたりした。コンモドゥスは、月に自分の名をつけるだけでなく、12の月全部の名を変更した。順に、Amazonius(1月),
Invictus(2月), Felix(3月), Pius(4月), Lucius(5月), Aelius(6月), Aurelius(7月),
Commodus(8月), Augustus(9月), Herculeus(10月), Romanus(11月),
Exsuperatorius(12月)。しかし、前述したとおり、どの改名も、その皇帝が死亡するとすぐに戻され、長続きしなかった。
各月の長さ
13世紀のSacroboscoによれば、最初期のユリウス暦での月の長さは規則的に、1ヶ月おきに大の月と小の月が来るようになっていた。Sacroboscoによれば、最末期、紀元前46年まで使われていたローマ暦の各月の日数は1月から順に次の通り。
30,
29, 30, 29, 30, 29, 30, 29, 30, 29, 30, 29。合計354日。
この暦の日数は、ユリウス暦の1年の日数に比べ、11日少ない。Sacroboscoは、改暦の際2月を除く各月の日数が1日ずつ増やされ、閏日は2月末に付け足されると考えた。Sacroboscoによれば、最初期、ユリウスが制定した各月の日数は次のとおり(かっこ内は閏年での日数)
31, 29 (30), 31, 30, 31, 30, 31, 30, 31, 30, 31, 30
そして、皇帝アウグストゥスが、8月を自分の名に変更するのと同時に、8月の日数を増やし、各月の日数を次のように変更したと考えた。(かっこ内は閏年での日数)
31,
28 (29), 31, 30, 31, 30, 31, 31, 30, 31, 30, 31
8月の日数を増やしたのは、自分の名をつけた8月が、ユリウスの名のついた7月よりも日数が少なくなることを嫌ったからだとされる。この結果、大の月と小の月が交互にやってくるという、ローマ暦の原則が破壊された、と、Sacroboscoは考えた。
しかし、Sacroboscoのこの考えは明らかに間違っている。いくつかの証拠から、ローマ暦末期の各月が、大の月、小の月の順に交互にやってきていなかったことがわかっている。(詳細な証拠については、Wikipedia英語版のw:en:Julian
calendarの項目を参照のこと)。ある証拠によれば、ローマ暦末期、ユリウスが改暦をする前から、3月、5月、7月、10月はもともと大の月で固定されていた。ローマ暦とユリウス暦では、大の月の第15日目はイードゥースという特別な名で呼ばれていたため、月の日数への言及がなくても、ある年のある月のイードゥースに関する言及があれば、その月の日数を推測することができるのである。なお、小の月ではイードゥースは第13日目になる。イードゥースのほかにも、ノーナエという特別な名で呼ばれた日付があり、これを使っても月の日数を推定できる。これらについては、ローマ暦の項目を参照のこと。
ローマ暦末期のそれぞれの月の日数は、当時の、壁に描かれた暦から、おそらく次の通りである。
29, 28, 31, 29, 31, 29, 31, 29, 29, 31, 29, 29
Sacroboscoの理論は、3世紀と5世紀の学者、CensorinusとMacrobiusとも食い違い、また、ユリウス暦初期のVarroによって記録された紀元前37年の暦とも食い違う。また、前述した、1999年にエジプトで発見された紀元前24年の暦とも食い違う。
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